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ある先輩は、「動物実験ばかりやっていると手術があらくなり、臨床にもどった時、困ることが多い」と忠告してくれたが、もしこれが事実だとしたら、残念ながら当時のわれわれ外科医の実験動物に対する態度を反省せざるを得ない。
私の場合、心臓外科や移植手術の基礎は、J.Hにいるときに、B.R、B両教授や、R、S.S両医師から学んだが、彼らは、動物実験だからといって、手術操作が雑になることなど、決してなかった。
まさしく、人間に対するのと同じていねいさで手術をおこなっていた。
心臓外科医としての基礎的な技術を身につける大事な時期を、そうした環境で過ごせたことは、この上なく幸運であったと思う。
さて、帰国の時が近づくにつれ、その後の自分の進路について、深く考えるようになってきた。
研究の方法については、この二年半で多くのことを学んだので、次は臨床だ。
Jでの経験は、一流の心臓外科医になるためには、三〇歳代の前半に集中的に臨床のトレーニングを積むことがいかに大切かを教えてくれた。
そのためには、まず基礎的なトレーニングを日本で少し積んだうえで、症例数の豊富なアメリカに再度渡って、できることならバラエティに富んだ手術を数多くできる施設で研修をうけたいと考えていた。
そのような研修場所としてどの施設が適当かB.R教授に相談すると、このまま移植の臨床をやりたいのなら、全米でいちばん数多くの移植をこなしているB大学がいい、と勧められた。
手術手技自体はさほど難しくない心臓移植は、むしろ手術の後の管理を学ぶのが何といっても大切なので、数多くの症例をみる必要があるのだ。
「私のほうからP大学のK教授に手紙を書くから、一度面接にいってらっしゃい」とB.R教授は言ってくれた。
B大学には、ちょうどその年の六月にJでチーフレジデントを終えたM医師とS医師が、助教授として移っていたことも幸いした。
順調にB大学の数人の教授との面接をこなし、最後にK教授の部屋に入った。
「問題ないと言うし。
いつから来たいかね。
」とK教授にいきなり聞かれ、少し戸惑っていると、待ったなしの回答を求められた。
しばらく臨床から離れているので、今年の七月から一年間は、日本で心臓外科の基礎的トレーニングを積むっちりだから、来年の七月からでどうかと答えると、即座にOK。
「給料は四万ドルだ。
ぜいたくさえしなければBでは十分暮らしてゆけるはずだ。
ホプキンスの連中によろしく。
」こうしてたったの五分の面接で、一九九一年夏から心臓・肺移植プログラムのフェロー(レジデントとしての研修を終え、さらに専門的な勉強をつづける研修医)として働くことが決まったのだった。
ボルチモアでの最後の四ヵ月はあっという間に過ぎ、帰国の日が来た。
約一年半、家族の一員として過ごしてきたビーグル犬のハリーは、実験室のテクニシャンの女性が、翌年Bに来るまで預かってくれることになった。
一九九〇年七月、私は岡山へ戻ったが、岡山では、後輩の研究の指導や、関連病院でおこなわれる心臓の手術の助手をするというのが精一杯で、翌年からのピ。
ツバーグでの研修に備える十分なトレーニングはおぼつかない日々が続いていた。
そんな中、欧米の心臓および肺移植外科・内科、そして病理の専門家が集まって、われわれに移植医療の現状を教えてくれるシンポジウムが、九月に岡山で開催された。
このシンポジウムは、B.R教授とT.S教授が半年以上かけて準備をしたもので、文字どおり世界のトップクラスの移植医たちが集まった。
普通、医学関係の学会といえば、製薬会社や医療機器メーカーから多くの寄付をうけて開かれるのが通例だが、このシンポジウムは、こうした寄付に一切たよらず、岡山大学第二外科の医局で学んだ多くの先輩方の篤志によって運営されたという意味でも、異色の学会だった。
この移植シンポジウムの主催者側の言貝として、準備段階から深くかかわったことで、世界各国に数多くの知人・友人ができ、それが少なからず、その後の私に影響をあたえることになった。
後の留学生活で、全米のみならず、ヨーロッパで活躍する外科医たちに、ひとかたならぬ世話をうけたが、それもこのシンポジウムでの縁によるものが多い。
また、それまで、学問の動向を知るのは、欧米の学術雑誌から得られる知識によるところがほとんどだったが、こうして、多くの友人を得てみると、学会場のロビーでなにげなく交わされている会話の中に、最新の情報がふくまれていることが少なくないことに気づいた。
考えてみればあたり前のことだが、ある科学者が、一つのアイデアにより研究をすすめ、結果を出し、それが論文として雑誌に掲載されるまでに、少なくとも二年近くの歳月が必要だ。
そして、やっと一つの論文が日の目をみるころには、先頭を走っている研究者は、その二年先を目指して日夜励んでいるということになる。
われわれ身近の研究者のなかには、自分か現在おこなっている研究について、他人にとられまいと必死で秘密主義をつらぬく人もいるが、私が接したアメリカの研究者や心臓外科医には、そのような人はごく少数派に過ぎない。
むしろほとんどの人は、現在自分が直面している問題を相手にぶっけることでうまくいけば、一緒に解決策が見いだせないだろうかと考えているようだ。
また逆に、話を聞く側も、相手がそこまで信頼して話してくれているのがわかると、及ばずながらも、できるだけ力になりたいと考えるのは、人間の感情として自然なことだろう。
私かその後かかわってきた研究課題の多くは、学会における友人たちとの会話がヒントになったものだった。
I大学でも、いくつかの大学と共同研究をすすめていたが、それもそうした研究者や医者どうしの間につちかわれた信頼関係が、大きな礎になっている。
一〇月半ばのある日、出先の関連病院での手術の手伝いが終わり、一息ついていると、病院の事務長さんが、「先生、アメリカのバウムクーヘンじゃなくて、バウムなんとかという人から電話ですわ」といって、走ってこられた。
出先の病院まで、何だろうと電話にでてみると、JのB教授からだった。
グラハムフェローシップとは、アメリカ胸部外科学会が毎年北米以外の地域の出身者に出している奨学金制度である。
Jでの滞在を終えて帰国した直後に、応募しておいたのだ。
約一週間して、その電話のあとを追いかけるように、B大学K教授から手紙が届いた。
その手紙には、「これまで公平を期するために君には言わなかったが、私も選考に加わり、君を推薦した。
ほかに論文をたくさん書いている候補者もいたが、われわれアメリカ胸部外科学会としては、心臓外科医としてはまだまだ発展途上だが、とにかく君の将来性に期待してみることにした。
来年から、ピッツバーグを中心にアメリカで学んで、それをぜひ、日本の心臓外科のために役立ててほしい」とあった。
天にも昇る気持ちとは、このことを言うのだろう。
以前にB.R教授から、グラハムフェローシップは毎年一〇〇人以上のなかから一人、という激戦区であること、また、なるべく北米に来たことのない人を選ぼうとするから、留学経験のある者は不利になる、あまり期待しないほうがいい、と言われていたので、なかばあきらめていた。
あとで、そのB.R教授も強力な推薦状を書いてくださっていたことがわかった。
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